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宮崎 駿 さん。 学習院大学、当時は大学に漫画サークルが無かったため、 児童文学サークル(児童文化研究会)に所属し、幾つかの人形劇を企画しつつ、 漫画家を志し漫画を描き続けながらも、アニメーションの世界へ進む事を決断をされ、 学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に定期採用で入社し、動画などを手がけられました。 当初は、漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社1年後に観たソ連製作長編アニメーション映画 『雪の女王』に強い感銘を受けアニメーションを一生の仕事にしようと決意。 『ガリバーの宇宙旅行』のラストシーンが宮崎さんのアイディアで変更されるなど、 頭角を現し、結成間も無い東映動画労働組合の書記長にも就任し、アニメーターの待遇の改善に尽力されたようです。 高畑勲・森康二・大塚康生さんらと共に3年がかりの大作、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1965-1968年)を作り上げたが、 興行的には不振で、以後は社内で不遇をかこつことに。 巨匠でもこんな時代って 必須なんですね。 ホロリ。 1971年、高畑勲、小田部羊一と共に東映動画を退社、新企画「長靴下のピッピ」を制作するために Aプロダクションに移籍したが、原作者の許諾を得られず立ち消えになってしまう。 ・・・ えええ? ピッピの大ファンとしては それ・・見たかったです。 確か、NHKの日曜日の夕方の連続アメリカンドラマみたいな枠でやってたと思うけど その後、視聴率が低調だったTVアニメ『ルパン三世』の演出の仕事を引き受け、これが あの映画 カリオストロの城の基礎になったんですね。 感動~~~。 宮崎 駿 さん。 1978年、『未来少年コナン』(NHK)で事実上の初監督を務められました。 名義上は演出であり監督ではなかったんですが、他に監督はいなかったということです。 見るほうは 毎週放送だって待ち切れず毎日見たいなんて勝手なことを思うのですが 制作側は 本当に厳しいスケジュールの中で、愛情を注ぎながら 作っていくんですよね。 演出を行いながら、オリジナル・スケッチ(ストーリーボード)・設定・キャラクターデザイン・メカデザインを全話担当し、 大半の絵コンテ、レイアウトを描いた上、スタッフの作った脚本・絵コンテ・レイアウト・原画を、 高畑勲応援分を除き全て1人でチェックするという、 ・・それって神様でもできないんじゃない??・・っていうほど 前代未聞の超人的な作業量をこなされ、しかも超高度な作家性を発揮して、 原作「残された人びと(The Incredible Tide)」の悲壮なイメージを大幅に改変し、 オリジナルといってもよい作品を作り上げられました。 視聴率は低調だったんですって。 え~ 私好きだったけど、 でもこの作品に衝撃を受け、後にアニメーターやアニメ演出家となった人はかなり多いようです。 | |