日本のアイドルの歴史 1950年代までにもアイドル的存在はいらっしゃったようですが
日本のアイドルの歴史 1950年代までにもアイドル的存在はいらっしゃったようですが ラジオだけのご家庭も多く、 歌って歌手や、話をしてるタレントの顔もあまり知らない という人も多い時代だったようです。 TVが一般的に普及し始めて ようやく今のアイドル的存在、 まずはルックスから 入る。 みたいな騒がれ方がはじまったようです。 アイドルの代表格としてよく使われるのが 三人娘という表現。 初代三人娘 - 黒柳徹子、横山道代(現・横山通乃)、里見京子、(又は水谷良重) 『ヤン坊ニン坊トン坊』で声優として主演し、一躍人気を集め、 日本のタレントで初めて「三人娘」と呼ばれたユニットである。 登場当初は単に「三人娘」と呼ばれたが後発組が「~三人娘」と言う名称を使用することが多くなったため、 後年に識別上「初代三人娘」と言われることが多くなった。 なお里見ではなく、水谷良重(のち2代目水谷八重子)とする場合もある。 NHK三人娘 - 馬渕晴子、冨士眞奈美、小林千登勢、(又は黒柳徹子) テレビ放送初期のころ、NHK専属の女優であった3人がドラマ『輪唱』をきっかけに人気を獲得し、 こう評された。この3人のうち1人を黒柳徹子と入れ替えて紹介されている場合もある。 単独で 60年代、最も初期のアイドルの代表格は、吉永小百合さん。「世間の期待する「清純」のレッテルに近づくべく、 「タテマエ=虚像」と「ホンネ=実像」を一致させようと努力した」吉永小百合さんは、 「戦後におけるオプティミスティックな理想主義の最後の象徴的存在と位置づけられました」。 ただ、当時はまだ「アイドル」という表現は成立しておらず、「映画スター」ということばが似合う存在でした。 こうした スターたちのファッション、衣装は、 もちろん当時の若い女性の関心をあつめ 彼女たちの着た ワンピース、ドレス、小物 そして髪型までも、 一般女子に具体的影響力というのを与え始めた時期です。 七光り三人娘 - 朝丘雪路、水谷良重、東郷たまみ 服部良一の下で歌を習っていた3人がそれぞれ、 伊東深水(朝丘)、14代目守田勘弥・初代水谷八重子(水谷)、東郷青児(東郷)、 という大御所の愛娘であったことを逆手に取り、メンバーの水谷が自ら命名。 1950年代半ばから後半にかけて共に共演し、名を売った。 東郷は早くに芸能界を引退し、父同様に絵画の道へ進んだが、 朝丘・水谷は現在まで女優としても第一線で活躍を続けている。 ラジオ、TVで毎日のようにアイドルの存在を感じるようになったのが もしかしたら 元祖三人娘(ジャンケン娘) - 美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ さんたちかもしれませんね。 人々はますますアイドルに憧れ そのファッションを取り入れる努力を始めました。 当初は、単に「三人娘」と呼ばれていたが、その後いくつもこのユニットにあやかって、 「三人娘」が登場したため「元祖三人娘」などの通称が生まれたようです。 主に1950年代後半に活躍。なお「ジャンケン娘」の名は映画の表題に由来するということです。 少し 笑ってしまうネーミングですが。 いまは 雪村いづみさんしかご存命でないというのも 非常に残念です。 |
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